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浦田理恵(ゴールボール)の経歴と結婚や目の障がいについて調べてみた

北京パラリンピックから4連続出場となる浦田理恵選手は、2012年のロンドン大会のゴールボール金メダリストです。

前回のリオデジャネイロパラリンピックでは残念ながら5位。

今回の東京パラリンピックで金メダルの奪還を目指しています。

ボールに入っている鈴の音を聞いて、ボールの位置を把握する力が特に高く、日本ゴールボール界の不動のセンターとして活躍している浦田選手の経歴と結婚やパラリンピックにかける意気込みについて調べて見ました。

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浦田選手のプロフィールと経歴、戦歴について

名前…浦田理恵(うらたりえ)

生年月日…1977年7月1日生まれの44歳(2021年8月現在)

出身地…熊本県玉名郡南関町

身長・体重…153cm・53㎏

血液型…B型

家族…両親・祖母・妹2人の6人家族

※浦田選手は3姉妹の長女ですが浦田選手を含め、美人三姉妹です。

学歴…熊本県山鹿市鹿本高校⇒福岡教員養成所⇒生活訓練学校⇒鍼灸訓練学校・国立福岡視力障がいセンター

所属…総合メディカル(株)

種目とポジション…女子ゴールボール・センター

資格…鍼灸マッサージ師免許


華麗なる戦歴

2005年

  • 日本選手権⇒優勝

2006年

  • フェスピック大会⇒同メダル

2007年

  • IBSA世界選手権大会最終予選(サンパウロ)⇒銅メダル

2008年

  • 北京パラリンピック⇒7位

2010年

  • アジア選手権大会⇒金メダル
  • 広州アジアパラ競技大会⇒銀メダル

2012年

  • ロンドンパラリンピック⇒金メダル

2014年

  • カナダ・モントリオール・オープントーナメント⇒金メダル
  • 仁川アジアパラ競技⇒銅メダル

2015年

  • IBSAアジア・パシフィック選手権⇒金メダル

2016年

  • リオデジャネイロパラリンピック⇒5位

2017年

  • IBSA世界選手権大会⇒金メダル
  • ジャパンパラゴールボール競技大会⇒優勝
  • 世界ゴールボールトーナメント大会⇒銀メダル

2018年

  • 日本ゴールボール選手権大会⇒2位
  • インドネシア2018アジアパラ競技大会⇒金メダル
  • IBSA世界選手権大会⇒5位
  • マルモインターカップ⇒5位

2019年

  • 天皇陛下即位記念2019日本ゴールボール競技大会⇒4位
  • マルモインターカップ⇒4位
  • マネードクター日本ゴールボール選手権大会⇒準優勝
  • 世界選手権大会⇒6位

2020年

  • マネードクター2020日本ゴールボール選手権大会女子予選大会⇒1位
  • 10thAnnual Pajulahti Games⇒4位

15年以上にわたって素晴らしい戦績ですね。

浦田選手は守備のかなめであるセンターで活躍しています。

また、ボールや選手の動きを察知する『サーチカ』は世界からも大きく評価されています。


目の障がいとゴールボールとの出会い

浦田選手は小学校の教員を志して勉強中、20歳の時に『網膜色素変性症』のために左目の視力を奪われ、右目も視野の98%欠損します。

教室の最前列に座っても黒板の字が見えにくくなったことをきっかけに、ノートも取れなくなりました。

道を歩けば路上に停車している自転車等にぶつかり、スーパーでの買い物にも事欠きます。

でも、20歳そこそこの浦田選手は、目が見えない事実を受け入れることが難しく、病院に受診ができずにいました。

そして、ご両親にも目が見えないことを伝えることができませんでした。

専門学校卒業後も、「なかなか先生になれなくて」と実家から仕送りを受けながら福岡で生活していました。

どんなに不安でつらかったことでしょう。

両親からの励ましで鍼灸マッサージ師へ

浦田選手がご両親に目が見えなくなったことを伝えられたのは、1年半後です。

意を決しての帰郷。

迎えに来てくれたお母さんに目が見えなくなったことを伝えると

「ごめんね。気づいてやれんで。目の悪い子に産んでしまって」

そう言って泣き崩れたそうです。

お母さんにそんなことばを言わせてしまったことに申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、目が見えるふりをしなくてもいい安堵感も押し寄せてきました。

ご両親を始め、おばあちゃんや二人の妹さんはみんな一生懸命に浦田選手のことを考えてくれたそうです。

そして、ご両親は

「自分でできることを探しなさい。頑張りなさい。」

と言葉をかけます。

浦田選手は、この、ご両親の言葉に後押しされて鍼灸マッサージ師になるべく頑張ります。

本当に目が見えんと?

浦田選手がゴールボールに出会ったのは、鍼灸マッサージ師の職業訓練を受けている最中です。

2004年アテネパラリンピックの日本女子ゴールボールチームが銅メダルを獲得したニュースを聞いたのです。

この時にゴールボールの解説を聞きながら「すごい。かっこいい。感動した。私もやりたい。」と思います。

思い立ったが吉日。浦田選手はすぐに行動に移しました。

訓練に行っていたセンターの体育館で放課後ゴールボールの指導を行っていたコーチのもとへ駆け込んだのです。

この時のコーチが、ゴールボール日本女子代表ヘッドコーチの江黒直樹さんでした。

浦田選手の結婚と彼氏と名言

美人でにこやかな浦田選手。

ついつい、結婚や彼氏について気になってしまいます。

ずいぶん前になるのですが、浦田選手は福岡県の地域番組である『どォーも』の中のインタビューで「彼氏はいる」と答えていました。

ただ、ゴールボールの試合や練習だけでなく、年間60以上もの講演会を行っている浦田選手は忙しすぎて、ご結婚はされていないようです。

困難や問題は神様からのプレゼント

浦田選手はTwitterや講演会、そしてゴールボールの競技を通してたくさんの名言を残しています。

「目が見えなくなって見えるようになったことがたくさんあります。

感覚を研ぎ澄まし、音でボールやコートを見たり、夢をもって挑戦することの楽しさ、そして周囲への感謝の気持ちをいただきました。

(中略)

日々の小さな一歩を大切に、支えていただいている方々との力をつなぎ、限界を更新していきます。

その先に世界一の栄光があると信じています。」

初戦は世界ランク1位のロシアに負けてしまいましたが、まだまだこれからです。

ガンバレ!浦田選手!

最後まで読んでくださってありがとうございました。