京都の街中でサウジアラビアの民族衣装を着て歩いたり、皇居の周りをランニングしたりする鷹鳥屋明さんは『中東で一番有名な日本人』として日本で有名になった人。
サラリーマンの鷹鳥屋さんの何が有名かというと、サウジアラビアで日本の文化やポップカルチャーなどをInstagramやTwitterであげちゃったらフォロワ―が10万人‼
Like数は300万を超えたと言いますから、確かに日本に少しでも興味のあるアラブの方で鷹鳥屋さんを知らない人はないと言っても過言ではありません。
そんな鷹鳥屋さんのアラブでの活躍やプロフィールを調べて見ました。
まずは、鷹鳥屋さんのプロフィールから
氏名…鷹鳥屋 明(たかとりや あきら)
生まれた年…1985年
出身地…大分県
学歴…大分舞鶴高校⇒筑波大学第一学人文学類歴史学専攻
所属…(株)アカツキIP事業部グローバルマネジャー
日本と中東を行き来している会社員です。
日本語はもちろんですが、英語・中国語・アラビア語の4か国語を使えます。
InstagramやTwitterはアラビア語なので変換しないと私には読めなかったです。
お酒が飲めません
日本のサラリーマンといえば、飲み会が多く、お酒を飲めない人には辛いものです。
鷹鳥屋さんも、お酒が飲めません。
なので、国が宗教上の理由から飲酒はもちろんお酒の輸入や販売を禁止しているサウジアラビアなどの中東の国は鷹鳥屋さんにとっては最高の環境。
鷹鳥屋さんご本人も「神社の血族でありながらも、ほとんどお酒が飲めない体質」である自分にとって行事や交流の場でお酒を強制されることがないのは素晴らしいと言っています。
アラブの民族衣装を日本に帰国した時も着る
鷹鳥屋さんは日本とアラブの国々を行き来するときに、現地の民族衣装を着る努力をしてきました。
それは、服装の奥にある文化的部分と民族衣装への敬意を意識しているからだと言います。
日本人も着物を着てないでしょう
民族衣装に宗教的な問題はなく、日本人が着物を着る機会がなくなっているように、アラブでも伝統的な衣装を若い人が着る機会は減ってきているようです。
それを、日本で日本人が着て自転車で浅草を走っていると、かなりどころかめちゃめちゃ目立ちます。
アラブの方たちにとってもかなり衝撃的のようですが、鷹鳥屋さん曰く「高評価と支持をいただいている」そうです。
逆にもしも、アラブの方が自国で日本の羽織袴で生活していらしたら、親しみが持てますよね。
きっと、鷹鳥屋さんの「敬意」している気持ちが伝わっているのだと思います。
中東とかかわりを持つようになったきっかけ
もともと、大学での鷹鳥屋さんの専攻は『オスマン・トルコ』ヨーロッパまで領土を広げたとんでもなく強大な帝国です。
中東との出会いは社会人になって、日本の外務省とサウジアラビア政府合同のプロジェクトに参加したことからです。
それは、「日本・サウジアラビア青年交流団」です。
その前に、鷹鳥屋さんの親友が高校3年間をサウジアラビアで過ごし、その時の話を面白おかしく教えてくれて、中東にとても興味を持っていました。
その後に、この「日本・サウジアラビア青年交流団」の募集を外務省のHPで見つけたのだそうです。
そりゃ、「行くしかない」と思いますよね。
鷹鳥屋さんはこの時、日立製作所に勤務していたそうですが、当時の上司の方や同僚は、仕事が忙しい中にあって快く送り出してくれたのだそうです。
良い環境であったことも鷹鳥屋さんにとって幸いでした。
中東の正しい情報を伝えたい
鷹鳥屋さんは、サウジアラビア国王サルマン陛下の来日に当たり、日本のマスメディアに対して残念に思ったことがあります。
日本のメディアがサウジアラビアとの約束を破ってサルマン国王陛下の宿泊しているホテルが特定されるような報道をしてしまいました。
それで、サウジアラビア政府は在日サウジアラビア人に日本のメディアに出ないようにと措置を取ります。
それで、鷹鳥屋さんがメディアに出るようになってしまったのですが…。

サウジアラビアの豪華さや派手さばかりの報道
テレビの報道ですから、いかにして視聴率を取るかばかりに重点が置かれ
- どうして、サルマン国王陛下はなぜこのような大勢の外交団を連れて日本にきたのか?
- サウジアラビアは日本とどのような関係を築くためにきたのか?
といった肝心のことには触れていなかったのです。
鷹鳥屋さんまとめ
「中東で一番有名な日本人」鷹鳥屋明さんは、会社員として中東と日本を行き来しながら、中東の正しい情報を正確に伝えようと活動しています。
中東の国々に心から敬意を示すために中東の民族衣装を着て、日本にいる時は過ごしています。
これからも、中東の国々と日本の懸け橋となって、活躍してくださることを期待しています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。