30以上のルーティンを持つ、飛び込み界のレジェンド寺内健選手は1度引退した後に、もう一度、オリンピックに挑戦しています。
寺内健選手自身が言っているように「自分の子どものような」選手たちとメダルをかけて競ってきた、飛び込みにかける人生を振り返ってみました。
こんにちは!JOYです(^▽^)/
保育に日々精進しながら、本来持っている知りたいという性分でブログを書いています。
今回は飛び込み界のレジェンド・寺内健選手がレジェンドと呼ばれるようになった、その飛び込みにかける人生を調べて見ました。
オリンピック最多出場を果たした寺内健選手の経歴
1980年8月7日に兵庫県宝塚市に生まれた寺内健選手は、現在41歳です。(2022年1月現在)
学校は大阪の此花学院高校(現・大阪偕星学園)から甲子園大学へと進みました。・
現在の所属は『ミキハウス』
誰もが知る子ども服のブランドさんです。
身長は170cm・体重は69㎏です。
種目は板飛び込み・シンクロ板飛び込み。
家族は奥さんと愛猫。
寺内健選手が飛び込みを始めたきっかけは?
寺内健選手がプールに入ったのはわずか7か月の時。
現在通っているJSS宝塚スイミングスクールです。
当時、流行り始めたベビースイミング。なので、水泳歴=年齢です。
最初は競泳をしていたのだそうです。
でも、なかなか思うように記録が伸びません。
そこで小学校5年生の時に飛び込みへ転向します。
きっかけは日本飛び込みの虎の穴を作った馬淵崇英コーチからの声掛けでした。
こうして、日本飛び込み界のレジェンドへの道が始まりました。
初めてのオリンピックは15歳
飛び込みの競技人口は、今でも約700人ほど。
決して多くはありません。
しかし、少ないからこそ有望な若手に日が当たりやすいともいえると思います。
寺内健選手が初めてオリンピックに出場したのは15歳。
1996年のアトランタオリンピックでした。
その時にいきなり10位という快挙を成し遂げます。
練習時間は当時から1日8時間以上というルーティン。
2000年のシドニーオリンピックでは高飛び込みで日本人史上初最高位の5位入賞と3m板飛び込みで64年ぶりとなる8位入賞を果たすものの、念願のメダルには届きませんでした。
負傷からの復活
2001年の世界選手権で3m飛び込み板飛び込みで銅メダルを獲得。
しかし、この時に膝を靭帯炎で壊してしまいます。
2002年には膝蓋靭帯炎の手術をして、1年間リハビリを行います。
そこから復帰した日本選手権では板飛び込みで自己最高得点をマークして優勝を飾ります。
高飛び込みはやめて板飛び込みに専念しての復活は不死鳥のようですね。
カッコいい‼
飛び込みを引退した後に…
飛び込みは体力のいるスポーツで、その上、肉体を酷使します。
それで、大体の選手は20代で引退をします。
寺内健選手もその後、
2004年はワールドGPカナダ大会で初優勝するものの、アテネオリンピックでは3m板飛び込みで8位入賞します。
8位入賞は十分に素晴らしい成績ですよね。
2005年にJSS宝塚スイミングスクールに入社後、オリンピックのメダルを目指して、2008年の北京オリンピックに出場します。
日本人初の水泳選手4大会連続出場の大会は11位に終わりました。
2009年4月、現役引退。
『ミズノ』へ入社して水着の開発に関わるようになりました。
しかし、オリンピックでは常にメダル候補と呼ばれながらメダルに手が届かなかった思いはどんどん大きくなります。
メダルが欲しい
寺内健選手は自分の思いに噓をつきたくありませんでした。
その答えが現役を続けることでした。
28歳で一度引退して31歳での復帰です。
以前の現役生活では地獄とも思えた練習も充実した毎日に感じられたそうです。
自分の思いに正直に頑張ることを決めた寺内健選手。
なかなか、できることではありません。
これに伴って『ミズノ』を退社。
2011年1月『ミキハウス』に入社しました。
復帰後の寺内健選手
しかし、現役復活は決して甘くありませんでした。
目指したロンドンオリンピックは国内で選考落ち。
続くリオデジャネイロオリンピックは天候が不良で横風にあい、自己最低の成績となりました。
Tokyo2020への挑戦
それでもメダルを諦めなかった寺内健選手は日本選手の中で最初に東京オリンピックへの出場を決めます。
種目は3m板飛び込みと、坂井丞選手と組んだ男子シンクロ板飛び込み。
1年先延ばしになったオリンピックへコンディションを整えることは並大抵ではなかったと思います。
結果は3m板飛び込みが12位。
シンクロ板飛び込みは自己最高位の5位でした。
メダルには届きませんでしたが私たちに挑戦を続けることの大切さと人間の可能性を教えてくれました。

寺内健(ミキハウス)経歴と6度オリンピックに出た飛び込みへの情熱を調べて見たマトメ
着水の仕方で指を骨折することもあると言われる飛び込み。
競泳から転向して15歳でオリンピックにでた寺内健選手は毎日8時間以上の練習を行い、水泳選手としては初の4連続オリンピック出場。
そしてオリンピック出場最多となる6回出場達成したレジェンドです。
その原動力はオリンピックでメダルを取りたいという情熱でした。
残念ながら東京オリンピックではメダルに手が届きませんでしたが、これからも飛び込み界のレジェンドとして活躍していってくれることと思います。
寺内健選手に大きなエールとたくさんの拍手を送りたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。