日本のもっとも有名なゲーム作曲家である、すぎやまこういちさんが令和3年9月30日に敗血症性ショックで90歳の人生に幕を下ろしました。
日本の音楽の中にゲーム音楽というジャンルを確立し、交響組曲として芸術の域にまで高めた、その功績はゲームが好きな方だけでなく、様々な方に影響を与えたと思います。
その、すぎやまこういちさんのご家族に焦点を当てて調べて見ました。

すぎやまこういちさんのルーツ、両親について
すぎやまこういちさんのお父さんは庸吉さんと言います。
1907年に奈良藩士・椙山家の一人息子として神戸市で生まれます。
東京帝国大学薬学部を卒業し、昭和薬科大学で教鞭をとるなど、大変に頭が良く人物であったようです。
厚生労働省薬務局製薬課で課長をされたり、防衛庁の伎官もされていました。
当時の方としては珍しく、職業をいろいろと歴任されているようですが、どれも、難しいお仕事です。
お父さんの庸吉さんのお仕事が変わるたびに引っ越しがあって、すぎやまこういちさんはその度に小学校を転校しています。
この父方の祖母は小学校の先生で、後に教頭先生も務められています。
今とは違って、明治や大正の時代ですから、子育てをしながら教員を続けるのも女性が管理職になるのも、大変に珍しかったのではないでしょうか?
お母さんの蔦子さんは1909年生まれ。
大分県竹田市の浄土真宗のお寺のお子さんとして生まれます。
すぎやまこういちさんは戦時中にこのお母さんの実家を頼って疎開をされています。
両親そろってゲーム好き
一瞬、「え?」と思いました。
今では、両親そろってゲームが好きというのは、まったくもって珍しくもなんともなく、どちらかというと、ごく普通の家庭ですが、
時は昭和初期。
まぁ、プレステやスイッチとかではないことは確かですが…。
お父さんの庸吉さんは、全日本麻雀連盟の理事にもなっていますから、ご夫婦で麻雀がお好きだったのかもしれませんね。
このため、すぎやまこういちさんも物心がついたときには、ゲームが大好きだったそうです。
それにしても、時代を考えると素敵です。
両親そろって音楽好き
こちらは、「お~」と納得しました。
戦後、東京にみんなで帰ってきた時にも、お父さんの庸吉さんは、焼け残った自宅の反物をもってベートーベンのレコードとオーケストラの楽譜に変えてきて、すぎやまこういちさんに渡してくれたというから素晴らしいです。
誰もが、あるものは全て食料に変えた時代です。
それで、すぎやまこういちさんはクラシックの勉強を独学でしたと言いますから驚きです。
本当に、音楽が大好きなんですね。
奥さんは音楽家、子どもはプロデューサー
すぎやまこういちさんが、ザ・タイガースなどアーティストに曲を提供していたことは別の記事で触れましたが、奥さんの之子さんとの出会いは、このザ・タイガースの曲の収録でした。
奥さんの之子(のぶこ)さんは、なんと東京芸術大学を卒業している才媛。
東京交響楽団でビィオラを演奏している音楽家でした。
そのため、すぎやまこういちさんのCDには時折参加されています。
ご夫婦で音楽。素敵ですね。
現在は1986年にすぎやまこういちさんが設立した『スギヤマ工房有限会社』の取締役をされています
お子さんはおひとりで男です。お父さんのすぎやまこういちさんと同じフジテレビのディレクターです。
お名前を時宗大さんといいます。
苗字が違うので時宗さんというのは芸名?かもしれませんね。
「とんねるずのみなさんのおかげでした」や「ミュージックフェア」などを手掛けていた方のようです。
ん?そういえば、とんねるずが「ときむね~!」と番組で叫んでいたのではないでしょうか?
すぎやまこういちさん、家族マトメ
すぎやまこういちさんのお父さんは東京帝国大学薬学部を卒業して、数々の要職をされた方です。
お母さんは蔦子さん、大分県竹田市の浄土真宗のお寺のお嬢さんです。
二人ともにゲーム好きで音楽好き。
すぎやまこういちさんは、このお二人の血を引いてゲームと音楽が大好きな人になりました。
私たちがすぎやまこういちさんの素晴らしい音楽を楽しめるのも、ご両親のおかげかもしれませんね。
奥さんの之子さんは東京芸術大学出身のヴィオラ奏者。ザ・タイガースの収録で知り合いました。
お二人の間に生まれた一人息子の時宗大さんはすぎやまこういちさんが若い頃に働いていたフジテレビのプロデューサーです。
どなたも、スペックが高すぎて素晴らしいですね。
たくさんの音楽を残してくれた、すぎやまこういちさんも今は天国でご両親とゲームや音楽を楽しまれていることでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでくださってありがとうございました。