『レべチな人』に出てくる日本に3人しかいない職業ってなに?
その仕事をしているのは誰?
と、興味津々になったので早速調べて見ました。
日本に3人しかいない職業というのは『銭湯ペンキ絵師』です。
分かりやすく言うと銭湯の湯船の上に描いてある富士山を描いている職人さんです。
田中みずきさんはその中で最年少、しかも、たった一人の女性絵師です。
『ペンキ絵師』とは?田中みずきさんとは?一体どんな仕事でどんなひとなんでしょうか?
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ペンキ絵師・田中みずきさんのプロフィールと経歴
田中みずきさんは1983年生まれの37歳。
出身は大阪です。
明治学院大学文学部芸術学科で美術史を学びました。
その、大学在学中の2002年に東京都内で開かれた『銭湯』をテーマにした展示会で美術作家・福田美蘭さんの「銭湯の背景画」に心をわしづかみにされてしまいます。
銭湯のペンキ絵をモチーフにした絵の美しさだけでなく、絵の中に描いてあった看板に美術史研究の興味がわきます。
自分の人生を大きく変える出会いというのはこんな風に訪れるものなのでしょうね。
卒業論文での取り組みは「銭湯のペンキ絵」
すっかり、魅せられた田中さんはなんと、卒論に「銭湯のペンキ絵」をしたいと思うまでになります。
田中さんは卒論のために、都内でも、銭湯がたくさんある北千住へ通いました。
そこで、また、田中さんの運命を変える人との出会いを果たします。
師匠・中島盛夫さんとの出会い
卒論で「ペンキ絵」について調べていた先で、師匠となる中島さんに出会います。
実際に中島さんが銭湯の壁にペンキ絵を描く姿を見せてもらった田中さんは、中島さんの技術と踊るような絵の描き方に心を奪われてしまいます。
その時のことを田中さんは「銭湯の大きな壁が一瞬一瞬でどんどん変わる。目が離せない。」と言っています。
私は偶然にも、田中さんが以前TVに出られている時に、この「銭湯ペンキ絵」を描いている風景を見たことがあります。
確かに、下絵がなく、天井から床に向かって、どんどん描かれていく絵は見事というほかはありませんでした。
食っていけないからダメ
中島さんの職人の技術に惚れこんでしまった田中さんは当時、21歳。
「この技術がなくなるなんて、もったいなさすぎる。」
そう感じた田中さんは中島さんに弟子入りを申し込みます。
しかし、答えは「ノー」でした。
理由は「銭湯ペンキ絵師」ではもう食べていけないからです。
中島さんにしたら当然のことだと思います。
しかし、田中さんは食い下がりました。
「技術だけでも残したいので教えてください。」
生活できるようにならなかったと文句はいわないと頑張る田中さんに中島さんは「他に仕事を持つこと」を条件に弟子入りを認めました。
2004年のことです。
銭湯ペンキ絵師の修行
田中さんは中島さんに「他の仕事を持て」と言われていたので、まずは大学院へ進みます。
その後、ペンキ絵の修行をしながら出版社に就職しますが、1年半であっていないからと退職。
ホテルのフロントでアルバイトをしながら修行を続けました。
大学院まで出てと思う方もいるかもしれませんが、自分の足りたいことに打ち込むという田中さんの決断はスゴイですね。
師匠・中島さんについて
最初の数年は空しか描かせてもらえなかったそうです。
でも、寒い時は上着を着るように声をかけてくれる、夏の暑い時はいつでも水分補給をするように言われるなど、細やかな気配りのある方だったそうです。
田中さんは、師匠は、優しい中に時間に限りがある銭湯ペンキ絵師は体調管理をするのも仕事だという合理的考えも教わったと言います。
中島さんは、初めて田中さんが、仕事を任された日は現場に来なかったそうです。
「見たら手伝ってしまうから」
カッコいいなぁとこのエピソードを聞いて思いました。
田中さんの師匠の中島さんは2016年に「現代の名工」に選出されています。
田中さんは結婚しているの?
2013年に中島さんのもとを独立して、銭湯ペンキ絵師として仕事をするようになった時に、結婚されたようです。
お相手は、便利屋を営む駒村佳和さん。
銭湯ペンキ絵師は足場を組んだり思いペンキを運んだりと力仕事も多いので、旦那さんの駒村さんと協力して仕事をしているそうです。
田中さんのブログ
田中さんは『銭湯ペンキ見習い日記』というブログを書いていて、随時更新しています。
ペンキ絵師のいろいろに興味のある方はのぞいてみてはいかがでしょうか?
田中みずきさんマトメ
日本に3人しかいない「銭湯ペンキ絵師」の田中みずきさんは、大学在学中にペンキ絵に魅せられて中島盛夫さんに弟子入り。
銭湯ペンキ絵の伝統や技術を後世に残そうと、旦那さんと二人で頑張っています。
そんな田中さんを東京の銭湯を経営する方たちは、温かく見守っていてくれます。
ペンキ絵は銭湯だけではなく、現在はいろいろなところに活躍の場を広げています。
日本の伝統技術を継承していく田中さんに大きなエールを送りたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。