10月17日の『世界の果てまでイッテQ』でお祭り男・宮川大輔さんが参加する「ススキ提灯献灯行事」
毎年、夏と秋の2回、氏子さんたちが担ぐ大きな提灯神輿が30基、神社まで勇壮に運ばれます。
この、「ススキ提灯献灯行事」は、大変に珍しく歴史があるお祭りで、鴨都波神社の神事です。
鴨の宮さんで知られる「鴨都波神社」の鎮座されている場所とお宮の歴史について調べて見ました










鴨都波神社は飛鳥時代より古い
鴨都波神社が、現在の奈良県御所市宮前町に鎮座されたのは、第10代崇神(すじん)天皇の時代。
崇神天皇は最初に実在したと言われる天皇で、在位していたのは、3世紀後半と言われています。
鴨都波神社はこの時代に、奈良県桜井市にご鎮座されている「大神神社」の別宮とされています。
祀られているのは「積羽八重事代主命(つわやえことしろぬしのみこと)」と「下照姫命(したてるひめのみこと)」
因幡の白兎で有名な「大国主命(おおくにぬしのみこと)」がお父さんです。
積羽八重事代主命のお母さんは神屋楯比売とも高津姫命ともいわれています。
この、積羽八重事代主命は農耕の神様で、宮中に祀られている八つの神様のうちの、お一人です。
何だか、びっくりするくらいの大昔からいらっしゃるんですね。
主神・積羽八重事代主命とは?
積羽八重事代主命は、私たちになじみのあるお名前でいうなら「えびす様」です。
なので、農耕の神様であると同時に商売繁盛の神様でもあります。
また、神話の国譲りの時にお父さんの大国主命に変わって、国譲りの承諾をした神様ともいわれ、そのことからことばを司るとも言われます。
鴨都波神社さんによると積羽八重事代主命の本来の名まえは
「鴨都味波八重事代主神(かもつみわやえことしろのかみ)」
- 鴨都味波⇒鴨の水辺
- 八重事⇒しばしばの折り目
- 代主⇒田んぼの神
というお名前で「鴨の水辺で季節の節目ごとに祀られている田の神様」という御神名になるのだそうです。
お名前を訳してもらった方が分かりやすくていいですね。
下照姫命とは?
輝くように美しいというお名前の姫神さまは、大国主命と多紀理毘売命(宗像三女神)の間の娘といわれます。
積羽八重事代主命とは、お母さんの違う兄妹です。
ここで、不思議に思われていることがあるそうです。
実は、積羽八重事代主命にはお母さんの同じ妹「高照光姫大神命」がいて、どうして、異母妹と祀られているのかが分かっていません。
古事記や神話の時代にも、ましてや、神様にも私たちには分からない事情があるのかもしれません。
三つの神社
鴨都波神社は下鴨社ともよばれています。
高鴨神社(上鴨社)・葛木御歳神社(中鴨社)の二つの神社と合わせて、三つのお宮さんで全国の鴨社・加茂社の総本社です。
スゴイ社格ですね。
さすが、大国主命の子どもの神様です。
鴨族(古代豪族)の地
鴨都波神社が鎮座されている場所はもともと、葛城の地と呼ばれていました。
葛城川と柳田川の合流する地点です。
そこには弥生時代の中ごろから「鴨族」という古代豪族が大きな勢力を持っていました。
この「鴨族」は、高鴨神社付近(御所市鴨神、金剛山東山麓)から、より水稲作に適した、現在の鴨都波神社付近へ、本拠地を移し、そこで大きな集落をつくります。
これは鴨都波遺跡の発掘でわかっています。
鴨族は、大変に先進的で優れた能力のある民族であったため、朝廷からも重用されたそうです。
その、鴨族の神社である「鴨都波神社」は平安時代には名神大社という、神社の最高位に列せられる由緒ある神社です。
本殿の建立は1841年
現在あるご本殿は1841年(天保12年)に建てられました。
約190年前です。
この本殿は御所市の指定文化財。
神社にある
「祭礼渡御図絵馬」は奈良県指定の有形民俗文化財。
そして、今回イッテQで宮川大輔さんが参加している「ススキ提灯献灯行事」は奈良県の指定民族無形文化財です。
鴨都波神社の御利益
神様となると気になるのは、やはり、ご利益。
鴨都波神社の御利益は
- 五穀豊穣
- 商売繁盛
- 決断力
- 統率力
- 言葉
- 無病息災…など計り知れません。
参拝した時は、しっかりとお参りしたいですね。
鴨都波神社のマトメ
鴨都波神社は3世紀後半に崇神天皇の勅命によって建立されました。
主神は大国主命の子どもである、積羽八重事代主命と下照姫命。
豪族・鴨族の神社として大切に祀られてきました。
全国の鴨社の総本社でもあります。
これからも、地域の方に愛され尊敬される神社として、後々の時代まで大切にされていくことでしょう。
最後まで読んでくださってありがとうございました。