倒産寸前だった『万松青果』を家族主義・年功序列で、日本一綺麗な仲卸に弟さんと二人で立て直した中路和宏さん。
「お客様の喜ぶことを」「従業員を幸せに」「取引先の力に」という思いを胸に経営すると、求職者が殺到する会社になりました。
そんな、『万松青果』と中路和宏会長について調査してみました。
まずは、中路和宏さんと万松青果について
万松青果株式会社(まんまつせいか)の創業は明治39年9月。
会社の設立は昭和45年12月です。
京都市下京区朱雀分木町にある京都中央卸売市場にあり、現在従業員は27名です。
主な取引先は京都の高級料亭やレストランです。
中路和宏さんについて
万松青果の会長であり取締役専務でもある、中路和宏(なかじかずひろ)さんは、高校を卒業後、5年間を築地卸売市場でセリ人として働きます。
そして23歳の時に実家の『万松青果』に入社。
この時の社長はお父さんで、改革に燃える若き日の中路さんはなかなか当時の社員さんたちと思いが合わず、毎日会社に行くことが嫌で仕方なかったそうです。
中路さんに遅れること数年で弟の昌則さんが入社。
ここで、初めて理解者と味方ができたのです。
性格は正反対ですが、互いに認め合って二人三脚で経営にあたっています。
「取引先の役に立ちたい」と中路さんが中小企業診断士の資格を取って二足の草鞋を履いた時に『万松青果』の社長になってもらいました。
中路さんにとってなくてはならない存在であり、心感謝しているのだそうです。
しないことを伝える会社
年功序列や家族主義という言葉を聞くと、なんて昭和な会社だと感じてしまいがちですが、中路さんの経営理念を聞くとなるほどと感じます。
まず、年功序列。
これは、社員はお客様に喜んでもらうことを考える。売り上げの責任は社長がとる。ということなのです。
私は『万松青果』さんの年功序列は先に入った人は、きちんと仕事をしていなければ、反対に年功序列が大変なのではないかと感じました。
つまり、長く働いていれば良い会社ではない。長く働いた人はそれだけ会社と共に成長している必要があるのではないかと思いました。
次に家族主義。
『万松青果』さんのHPには「暑苦しい会社を目指します」と書かれています。
近年、会社は互いのプライベートには立ち入らないことになっているのが通常ですが、家族ぐるみで会社のイベントや諸々に関わり絆を深めていくことで会社を盛り上げています。
社員の家族の顔が見える。そんな、会社ですね。
成果主義ではモチベはあがらない
「売り上げの増減で給料が上下したらモチベは下がる」と従業員に言われ「必ずしも売り上げで給料に応じるのはモチベーションに繋がらないのではないか?」と考えた中路さん。
ここで「お客様の喜ぶことを考える」のは従業員。
「売り上げの責任は経営者」と考えるようになります。
また、『万松青果』の場合は卸売りの仕事がしたくて就職したのではなく、生活のために就職した人であることにも気づきました。
損か得かではなく正しいか正しくないか
『万松青果』は綺麗ごとだけで仕事して、決してグレーゾーンは受け入れない。
中路さんは、ここで働いていることに誇りが持てるようにすることの大切さを大事にしています。
変革と改革とスピードを経営スタイルとして誰に対してもやましいことを一切しない。
だから、あとから結果はついてくる。
そう、言い切る『万松青果』は確かに日本一綺麗な仲卸ですね。
うちの主人が面接を受けに行きます
奥さんから電話があって面接に来た人がいて、その、面接に来たご本人も「家内がいい職場が見つかったと聞いてきました」といったそうです。
面白いから即採用したそうです。
中路さんに言わせると
万松青果のHPを見て奥さんが自分の旦那さんに働いてほしい会社と感じたのだろうなと…。
万松青果のハローワークのページを見てみましたが、パートやアルバイトはなく、皆さん、正社員でした。
これも、正社員は自分のため以外にも働く人であるという考えからです。
中路和宏さんと万松青果まとめ
日本一綺麗な仲卸『万松青果』は経営者が従業員の幸せを考えることで、従業員のやる気を伸ばし「お客様のために」働く意欲を持たせました。
やるべきことでなく、やらないことを伝えることは正しいことへの選択に繋がり自分の会社に誇りを持ち自信を持つことになります。
改革と革新に燃えていた中路和宏さんは「自分がやってほしいことだけを押し付けていた」ことに気が付き成果主義から年功序列・家族主義へと経営理念を変革させます。
そうして、本来の改革と革新が成功しました。
一時は倒産寸前だった『万松青果』は求職者が押し寄せる会社になったのです。
これからも、『万松青果』は人とのつながりを大切にする面倒くさい会社として大きく発展していくことでしょう。
更なるご発展をお祈りしています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。