朝、目が覚めたら足が動かなくなっていた。
村山選手は2008年、34歳になったある日、突然に原因不明の難病『慢性炎症性脱髄性多発神経炎』を発症します。
これは、10万人に一人と言われる自分の免疫が自分の細胞を壊す病気で何の前触れもなく起こります。
そこから、日本パラバトミントンのパイオニアと呼ばれるようになった村山選手のプロフィールなどを調べて見ました。
村山選手のプロフィールと経歴
名前…村山浩(むらやまひろし)
生年月日…1974年3月25日生まれの47歳(2021年8月現在)
出身地…千葉県千葉市
家族…妻、子ども2人の4人家族
所属…SMBCグリーンサービス株式会社・車いすバドミントン『パシフック』
車いすバドミントンクラス…WH1
梶原大暉選手とのダブルスは世界ランク3位。
座右の銘…『心は熱く頭は冷静に』
趣味…猫と遊ぶ・お笑い鑑賞
村山選手は猫を飼っているのでしょうか?お笑い鑑賞と言い猫といい、めちゃくちゃ癒しですね。
日頃から戦いの中に身を置いている方のホッと一息といったところでしょうか?
村山選手の主な戦歴
2016年
- コロンビア国際大会⇒男子シングルス1位、ダブルスベスト8、ミックスダブルスベスト8
2017年
- ペルー国際大会⇒男子シングルス2位、ダブルス1位、ミックスダブルス3位
- 日本障がい者バドミントン選手権大会⇒男子シングルス3位、ダブルス1位
2018年
- ブラジル国際大会⇒男子シングルス1位、ダブルス1位、ミックスダブルス1位
- オーストラリア国際大会⇒男子シングルス2位、ダブルス3位、ミックスダブルス2位
2019年
- ドバイ国際大会⇒ダブルス2位
- カナダ国際大会⇒男子シングルス3位
- タイ国際大会⇒ダブルス3位
- 中国国際大会⇒男子シングルス1位
- デンマーク国際大会⇒男子シングルス1位、ダブルス2位
- 日本国際大会⇒ダブルス3位
- 第5回日本障がい者バドミントン選手権大会男子シングルス2位、ダブルス1位
2020年
- ブラジル大会国際⇒ダブルス1位
- ペルー国際大会⇒男子シングルス3位、ダブルス2位
- 第6回日本障がい者バドミントン選手権大会男子シングルス1位
この中で、村山選手の一番の思い出は2016年のコロンビア国際大会。
ここの男子シングルス準決勝で、今まで、目標にしてきた選手と当たります。
そして、初めて勝つことができたのです。
それからは、勢いに乗って優勝できたと言います。
本当にうれしくて思い出深いコロンビア国際大会だったでしょうね。
村山選手の家族について
奥さんと二人のお子さんがいらっしゃいます。
今まで村山選手を支えてきた、ご家族ですが、私が素晴らしいと思ったのは、村山選手が病に倒れたときの奥さんの言葉です。
「家のローンもある、幼い子供もいる。」
村山選手が病気を発症したのは、34歳の時ですから不安になるのは当たり前です。
もちろん、村山選手も不安でした。
そんな時に奥さんは村山選手に
「命に関わる病気でないから、よかったね。」
と、あっけらかんと明るく言ったのだそうです。
なかなか言えませんよね。
奥さんこそ不安だったと思います。
けれど、そう言ってくれる奥さんと無邪気な子どもたちに接するうちに「家族のために頑張らなければ」と村山選手も思ったそうです。
素敵なご家族ですね。
バドミントンも家族の影響で始める
病気にかかる前の村山選手の趣味は『野球』
車いすでは難しいスポーツです。
そこで、家族がしていたバドミントンをするようになりました。
そこで、奥さんが『千葉飛翔ウェーブ』を勧めたのです。
競技者として指導者として
『千葉飛翔ウェーブ』はあらゆる障がいを持った方のチームです。
そして現在代表を務める『パシフック』は車いすバドミントンのチーム。
同じ千葉市の障がいを持つ方のスポーツチームとなります。
村山さんは現在『パシフック』で後進への指導も行っています。
『パシフック』には、千葉大学に在学中に障がいをおって、バドミントンからパラバトミントンに転向した東京パラリンピック男子パラバトミントン代表、長島理選手(現在は愛知県)や東京パラリンピック女子パラバトミントン代表の里見紗季奈選手がいます。
特に、里見紗季奈選手とはまるで親子のように仲が良いのだとか…。
今回、女子シングルス・ダブルス両方の金メダルを狙う里見選手の指導を行ってきたのも村山選手です。
村山選手と里見選手の同時金メダルに、期待がかかっています。
「身近に世界に出られる選手がいるというのは強み。」といいます。
村山選手は、パラバトミントンもいずれはテニスのように競技人口が増えて、様々な障害を持った人たちが行えるように普及させたいと考えています。

男子ダブルスは親子ペア?
2020東京パラリンピックで村山選手とペアを組んでいるのは、日本パラバドミントン界の超新星19歳の梶原大暉選手。
実は梶原選手のお父さんと村山選手は同じ年齢なのだそうです。
しかし、梶原選手は「他愛もない話をする仲」と言い、村山選手は「肩の強い二人がコートの奥まで打つハイクリアが強み」と目を細めます。
梶原選手は元野球のピッチャーで村山選手の以前の趣味は野球ですから、おのずと息があっているのかもしれませんね。



村山選手まとめ
「感謝したい人は1000人はいる。」
という村山選手。
突然の病気に両足が動かなくなっても、ご家族を思い、ご家族に支えられてパラバドミントンの競技者としてだけでなく、後進の育成や指導もされています。
キラキラと精一杯がんばってきた村山選手の胸に金色のメダルがかかりますように‼
最後まで読んでくださってありがとうございました。