キノコの素晴らしさをどうしても広めなければ‼
30年前にキノコに魅せられ、以来、キノコ一筋。
来ている服も持ち物も、そして、仕事もきのこです。
堀博美さんは日本にただ一人のキノコのライター。
キノコのことしか書かない堀さんの経歴を覗いてみました。

堀博美さんのプロフィールと経歴
氏名…堀博美(ほりひろみ)
1971年兵庫県神戸市生まれ。推定年齢は50歳。
京都府在住。
職業…きのこライター・日本菌学会、関西菌類談話会会員
2006年⇒日本キノコ協会「MOOKきのこ」副編集長に抜擢。
2009年ごろ⇒フリーの「きのこライター」として活動。
2013年⇒阪神梅田店にて「ドキドキ!きのこフェスティバル2013」をとよ田きのこさんとプロデュース。
著書…『毒きのこに生まれてきたあたしのこと』
きのこに、はまったわけ
堀さんがきのこ好きになったのは、ある日ある時、なんとなく見ていた「きのこ図鑑」の見開きに真っ赤な傘に白いイボのついたきのこたちが輪になって生えているのを見てからです。
きのこの名まえは『ベニテングダケ』
「こんなの、本当にいるの?ぜひ現物が見たい」
そう思った堀さんは、友だちと一緒に『10月 菅平』
たったこれだけのキーワードを頼りに菅平高原まで探しに行くのです。
スゴイ行動力です!
運命が導いた本物のベニテングダケとの出会い
自然のものですから、いくら季節と場所があっていたからと言って、そうそう、見つかるものではないのですが…。
これぞ運命のお導き。
堀さんはベニテングダケに出会うことができます。
菅平高原で朝見つけたベニテングダケはみずみずしく、美しく、存在感が半端なかったそうです。
この時に、他にもたくさんのきのこを見つけただけでなく、泊った『ペンションきのこ』では美味しいきのこ鍋と、きのこについては超のつく有名なオーナーさんとの素晴らしい出会いがありました。
堀さんは、この菅平高原への旅行が「この後のきのことの長いお付き合いを運命づけた」と言っています。
きのこ好きは変な人?
きのことの運命の出会いを果たした堀さん。
今から30年前って、きのこの情報はかなり少なくて、きのこと言えば図鑑で知る…そんな時代でした。
そんな中で、きのこについて歴史書などに一行ほどの記述を見つけては喜んでいたのだとか。
今やきのこは食材でもメインになるほどの出世ぶりですが、当時は食べる以外のきのこ好きは変な人認定があるくらいだったそうです。
「菌トレ」でネタを増やす
ベニテングダケと運命の出会いを果たした堀さんは京都へ帰るとミニコミ誌『SOMA TIMES』の発行を始めます。
そこで、寝たを探し始めるのですが、その時に、図鑑で調べた形がそっくりなきのこ2種。
紫のムラサキシメジと茶色のドクササコ。
見た目は茶色のドクササコが美味しそうに見えたのですが、実は名前の通りとんでもない毒きのこ。
鮮やかな紫でいかにも毒を持っていそうなムラサキシメジはとっても美味しい食用であることを知ります。
「きのこってこわい‼」
これをきっかけに、きのこ学習会に入ってきのこの勉強を開始します。
堀さんはこのきのこの勉強のことを『菌トレ』と呼んでいます。
ブッダが最後に食べたきのこ
話がとんでもなく大きくなるのですが、仏教の開祖ブッダの涅槃についてご存じですか?
80歳になったブッダは変わらずに布教をしていましたが、その途中に布施で出された食事を食べて、食あたりを起こし涅槃へ入ったと言われています。
この時に、ブッダに出されたのは、きのこ料理と言われているんです。
雑誌ムーへの投稿
ムーと言えばこの世の不思議や解明できない出来事を専門に扱う雑誌なんですが、堀さんは『ブッダが食べたきのこ料理』について、ムーに投稿しています。
ブッダは鍛冶工チュンダから出された供物『スーカラマッダヴァ』を食べて亡くなるのですが、この『スーカラマッダヴァ』はきのこの料理とされています。
豚肉という説もあるそうなのですが、現在では地中にはえたきのこが有力とされています。
豚が地中から探し当てたきのこを使ったという説もあります。
この説ときのこの種類について熱く語っています。
堀博美さんまとめ
日本で唯一のきのこライター堀博美さんは大学に在学中に図鑑でみたベニテングダケに魅せられ菅平高原でベニテングダケと運命の出会いをしました。
その後、きのこの奥深さに『菌トレ』を始め、どんどんきのこにはまっていきます。
『毒きのこに生まれてきたあたしのこと』という本を出版したり、ブッダが最後に食べたきのこ料理について雑誌に投稿したり、精力的にきのこについての活動を行っています。
「きのこにご胞子(奉仕)させていただいている」
という堀さんの今後のきのこワールドへの更なるご活躍を祈っております。
最後まで読んでくださってありがとうございました。