坂上&指原のつぶれない店に『北海道物産展の鬼』の異名で登場するのは、本田大介さんです。
本田さんは大丸松坂屋百貨店で超のつくほどの人気がある『北海道物産展』のカリスマバイヤーなんです。
しかも、北海道のウマい‼を追求するあまり、なんと20㎏も激太りしてしまったというから、そのプロフェッショナルぶりは大変なものです。
それでは、本田さんの『北海道物産展の鬼』と呼ばれる経歴やバイヤーとしてのお仕事をご一緒に見てみましょう~。
食べることが大好きな本田大介さんのプロフィールと経歴
本田さんは1968年生まれの53歳。
出身は兵庫県神戸市で関西学院大学の法学部を卒業されています。
お母様が百貨店にお勤めだった影響で、大学卒業後は大丸松坂屋に就職しました。
就職後は地元の神戸店でずっと食品を扱っていました。
食べることが大好きというだけあって、大丸松坂屋の本田さんの写真は、とってもふくよかで笑顔が素敵です。
職業は北海道物産展専属バイヤー
そんな、本田さんが大丸松坂屋のバイヤーとして北海道に転勤したのは17年も前。
実はどこの百貨店でもお客を呼ぶには北海道物産展を開くのが一番と言われているくらい、北海道物産展は大人気。
なので、北海道物産展でどんなお店を呼んで、どんな美味しいものを紹介できるか?
特徴や個性のある北海道物産展を開催できるかが、お店の売り上げに大きく影響するんです。
しかし、本田さんが北海道物産展専属バイヤーになる前は、大丸松坂屋はお店ごとの買い付けとアイデアで勝負していました。
それではお客さんのニーズに応えることが難しいと考えた大丸松坂屋は、本田さんを北海道に在住させ現地の専属バイヤーとして仕入れを任せることにしました。
この時、本田さんは35歳。
お店の大きな部門を任されるというのは35歳の年齢では大抜擢だったそうです。
確かに、北海道物産展のたびに各店舗からバイヤーを出張させるより、専属がいたほうがずっと効果もあるし効率的。
目玉の北海道物産展は年18回?
全国7か所の大丸松坂屋の店舗では年に18回の北海道物産展が行われています。
そんなに北海道物産展ってあるの?と、若干田舎住まいの私はビックリしました。
確かに北海道物産展はなり催されている印象があります。
それにしても、多いですね。
しかも、集客数は200万人を獲得するのだそうですよ。
大丸松坂屋の目玉イベントと言っても過言ではないですね。
その、北海道物産展で売る品物の仕入れはもちろんチラシや商品のキャッチコピー、新商品の開拓やプロデュースまで、本田さんの責任でこなしているというから驚きです。
マルチな才能をお持ちのようです。
本田大介さんの食への想い
人には転機という物があると思うんですが、本田さんの場合は1995年の阪神淡路大震災の時にその転機が来ました。
当時、まだ、入社3年目で売り上げを伸ばすことに本田さんは一生懸命でした。
しかし、不況で売り上げは伸び悩み、毎日が売り上げとのにらめっこだったのだそうです。
その時に震災です。
本当にどうしたら良いのか悩まれたと思います。
でも、本田さんはこの時に調理師であるお父さんが、困っている人に炊き出しをする姿を目にします。
そして
「いかに自分が人ではなく数字を見ていたのか」を思い知ったそうです。
この時の経験が、今、お客様のことを考え、人とのご縁を大切にして仕入れを行う本田さんのベースになっているのです。
1日5軒のお店を回り、自分で船に乗る
本田さんは仕入れ先のお店を回るだけでなく、なんと、漁船にも一緒に乗っかって行ってしまいます。
そして、カニやウニなどを直接、見てきます。
いや、すごいですね。
お客様に確かなものをという気持ちが、本田さんにそうさせるのでしょう。
選んだものが美味しいはずです。
本田大介さんマトメ
北海道物産展の鬼と呼ばれる大丸松坂屋の北海道物産展専属バイヤーの本田大介さんは、
今日もお客さまの笑顔のために、1日5軒ものお店を回り漁船に乗って北海道のウマいを探しています。
もともと、食べることが好きだった本田さんですが、仕事熱心なあまり?体重は20㎏も増えてしまったそうです。
これからも、きっと、お客様の食卓に北海道のウマいを届けるために走り回られることと思います。
なかなか、遠出が難しくなった今、本田さんのようなお仕事の方のおかげでいろいろな食が楽しめますね。
これからも、北海道の魅力をたくさん届けてくださいね。応援しています。
最後まで読んでくださってありがとうございました。