『にんげんだもの』という、ことばはあまりにも有名。
その、ことばに勇気づけられてきた方は多いのではないでしょうか?
書家・相田みつをさんは、暖かな人間らしいことばと、心をひきつける書体で、没後30年たった今も人気があります。
しかし、相田みつをさんは、その書とは違った一面もお持ちだったそうです。
ご子息で『相田みつを美術館』館長を務める一人さんが今回の激レアさん。
一人さんを通して相田みつをさんの新しい魅力に迫ってみました。
相田一人さんのプロフィールと名まえの由来
相田一人(あいだかずひと)さんは、父親に書家の相田みつをさんを持つ1955年9月2日生まれの66歳です。(2021年9月現在)
お母さんは千江さん。今年95歳になります。
相田みつをさんとは「短歌の会」という歌会で出会い、恋愛結婚です。
千江さんは、大きなお店のお嬢さんで相田みつをさんとの結婚には大反対されたそうです。
そりゃ、収入がない芸術家ですから、千江さんの実家からしたら当然ですよね。
でも、1954年に反対を押し切って結婚しています。情熱的です。
一人さんの下には女の子がいます。
その、一人さん、現在は、相田みつを美術館の館長をされていますが、その他に著作家もされています。
また、お父さんの相田みつをさんの作品監修や作品の発表などもしています。
名前の一人の意味
一人さんの名まえは、お父さんの相田みつをさんがつけました。
「気骨ある人に成長するように。何でも、一人でやっていけるように。一日も早く、一人立ちできるように」
といった、願いが込められているそうです。
きっと、相田みつをさんは一人さんに、自分の道を自分の足で歩ける人になってほしかったんでしょうね。
この時の相田みつをさんの日記には
「転じて後、人生の孤独、寂寥(せきりょう)、悲哀等を考えて、あえて一人と名付けた。」
と書かれているそうです。
一人さんの経歴は?
学校の名まえはわからないのですが、地元・栃木県足利市の高校から東京の大学に進学して、卒業後は出版社に勤めています。
その後、独立して株式会社・而今社(にこんしゃ)設立。
1996年に『相田みつを美術館』を東京銀座に開館。
以降、館長を務めています。
相田みつを美術館は現在、東京都丸の内にある東京国際フォーラムの地下1階にあります。
相田みつをさんは、どんなお父さん?
相田みつをさんは、死後に有名になりましたから、生前の生活は苦しかったようです。
副業はしないという相田みつをさんですが、
それでも、一人さんが生まれてからは、ロウケツ染めの勉強をして地元の商店街のデザインをしたりして生活費を稼いでいました。
また、一人さんの学校のPTA会長を3年以上も務めるなど、ずいぶん積極的に関わっています。
お子さんのことを大切に思っていたのでしょうね。
書家・相田みつをについて
ここで、相田みつをさんについて調べて見たことをお知らせします。
相田みつをさんと言えば、今は知らない人はいないほど、有名なのですが、実は世間一般に広く知られるようになったのは、相田みつをさんが亡くなってからなんです。
超大物歌手の美空ひばりさんがご自身の本の中で相田みつをさんの『にんげんだもの』を取り上げたことでブレイク。
時代にもマッチして、一躍有名となりました。
私も、この時に相田みつをさんのことを知った一人です。
超がつくほどのわがまま
相田みつをさんは芸術家らしく、こだわりが強かったそうです。
- 住む家8畳、アトリエ30畳
- 硯と筆は最高級品
- 奥さんの千江さんは働きに出ることは禁止
- 売れた作品でも気に入らなかったら、買い戻して焼却
- 作品はたくさん書いても、1枚だけ残したら後はお風呂の焚きつけに使う
やはり、芸術を追求するとなると、こんな風に思いも強くなるのでしょうね。
相田みつをさんご自身が、「一番大事なものに、一番大事な命を懸ける」という考えで、「一家の長である自分が芸術に打ち込んで幸せなのだから、家族はみんな幸せ」と思っていたようだと、一人さんは言っています。
いくら、時代が昭和と言ったって、確かに、超わがままです。
でも、芸術家って皆さん、そんなところありますよね。
相田みつをさんが一人さんに遺したことば
一人さん自身がお父さんの相田みつをさんのことばで好きなことばは
『しあわせは いつも じぶんの こころが きめる』
これは、一人さんが講演会の中でおっしゃっているそうです。
エピソードとして
勉強嫌いの一人さんが悪い成績を取った時のことです。
当時、中学3年生の一人さんが自宅に帰ると机の上に
『やれなかった やらなかった どっちかな』
そう書いた、書が置いてあったそうです。
これは、百回叱られるより心に響きます。
また、
「教養とは、知識を身に着けるだけでなく、どれだけ相手の立場になって考えることができるかだ。」
と言われたとか…。
こちらも、ずうんと響きます。
ひとつひとつのことばの持っている意味を深くとらえる方だったんですね。
相田一人さんマトメ
書家・相田みつをさんの息子・一人さんは父親である、相田みつをさんの作品を後世に残す仕事をしています。
芸術家として超わがままだった父親の相田みつをさんに愛情深く育てられ、その名まえの由来通り、自分のするべき仕事をしっかりとなさっている方だとお見受けしました。
今、社会が不安定な中で、今後も相田みつをさんの書は人々の心に潤いを与えていくと思います。
一人さんの活動が、相田みつをさんの書を通して、今後も人々に気づきと幸せを与えていってくれることを願います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。